日本における皆保険の歴史

日本の制度や仕組み

日本初の社会保険制度

最初の社会保険は部分的かつ限定的で安心が保証される制度ではなかった。

ドイツの疾病保健法を参考にして1922年に健康法が成立し1927年に施行されました。

しかし、現行のような皆保険ではなく、ストライキを繰り返していた工場労働者、鉱山、交通業などの事業所で働く従業員本人を対象としており、農家や漁師は対象とされず全人口の約3.2%程度でした。

保険料は現行と同じように事業主と従業員が負担し、保険料は賃金の3%でした。怪我や病気に対する療養、現物給付、労働ができない時期の手当金が主でした。ただし、支給期間は180日で当時大流行した結核や長期療養者にとっては、あまり恩恵が受けれませんでした。

1938年に国民健康保健法が制定

改善を試みた国民健康保険法だったが、だれもが入れる社会保障にはなりえず。

農民などを対象とした国民健康法は1938年に施行されます。これは1929年に世界恐慌が起き、軍事関係の工業は大きな発展を遂げる一方で、農山漁村は貧困と病気で苦しむ状況に陥りました。

その劣悪な生活実態を改善し都市部だけではなく、全国に医療を普及させることが国民健康保険法の目的でした。成立する前年(1937年)には日中戦争が勃発し、健兵健民政策の推進のために国民健康保険制度の普及に力が入れられた背景があります。国民皆兵という言葉に対応させる意味からか、国民皆保険という造語が生まれていきました。国民皆保険が生まれた背景に戦争との関係がありました。

実際のところできたばかりの国民健康保険法は自己負担が重く、貧しい農民が加入できるような制度ではありませんでした。

職場や地域で国保組合が作られるも消滅

市町村や事業所を起点に保険組合が設立するも、戦争とともに制度が立ち行かず。

当時の厚生大臣は1942年から3ヵ年度内に全市町村に国民健康保険組合を設立し国民皆保険施策を推進する政策を打ち出しました。これにより、1944年頃には、組合数が1万を超え、加入者数も4000万人を超えて普及しました。

一方で、勤め人やその家族を対象とした健康保険制度も1943年頃には適用事業所数が16万、加入者数も800万人を超えていきました。

しかし、戦争が進むに連れ制度は立ち行かなくなり、配線とともに国民県法保健は事実上の休廃止となりました。

県民皆保険の実現

岩手県が国を先駆けて組合をベースに皆保険を実現する。

敗戦から、健康保険組合の解体が続きました。国は1948年に国民健康保険法改正を行います。国保の実施主体を国保組合から市町村公営に移行させました。

1955年、岩手県は国に先駆け、戦前の医療利用組合をベースとして、健康保険の100%加入を実現しました。

皆保険の実現

戦後の復興に取り残された低所得者層の加入とともに国民皆保険が実現する。

1957年に国民保健全国普及4ヵ年計画が策定され、1958年に新国民健康保険法が成立しました。

時代背景としては、1956年の厚生白書には1,000万人近くの低所得者層が復興の背後に取り残されている状況でした。国民のおよそ3分の1にあたる3,000万人が公的医療保険に未加入であり、皆保険は日本の社会保障の大きな課題でした。

その後、1961年に国民皆保険が実現しました。

老人医療費無料化

皆保険実現後、人口増加や経済成長の中で老人医療費無料に取り組むも、財政悪化とともに終止符

1960年代は医療費10割給付の試みが行われていた岩手県の村にて老人医療費が無料になりました。その後、1969年には東京都で、全国の自治体に広がりを見せ、1973年には国策となりました。

1973年を福祉元年と銘打ちますが、直後に第一次オイルショックが起こり、高度成長は終焉をむかえ、財政の悪化とともに1983年には無料化に終止符が打たれました。